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司馬遷[しばせん]
司馬遷(しばせん、紀元前145/135年? – 紀元前87/86年?)は、中国前漢時代の歴史家で、『史記』の著者。 姓は司馬。名は遷、字は子長〔〔シャヴァンヌ(1975)、p.33、第二節 司馬遷、司馬遷の生年〕。周代の記録係である司馬氏の子孫で、太史令の司馬談を父に持つ〔李 (1988)、pp.46-49、第二章 司馬遷の父 1.世伝の歴史家、並びに天文家〕。太初暦の制定や、通史『史記』の執筆などの業績がある〔。 ==生涯==
=== 家系 === 遠い部分の信憑性には疑問があるが〔李 (1988)、p.46〕、父・司馬談が亡くなる際の遺言によると、司馬遷の家系は堯・舜の時代に功績を挙げ、代々歴史・天文を司る一族であるという。秦の恵文王らに仕えた司馬錯、その孫で白起の部下として長平の戦いに従軍した(しばきん)、さらにその孫で始皇帝時代に鉄鉱を管理する役職にあった司馬昌がいる〔。昌の子は毋懌(無澤、むえき)と言い、漢市の長官に就いた。その子で五大夫の爵位を得た司馬喜は司馬遷の祖父に当たる〔〔『史記』「太史公自序」2〕。 このような家系において、父・司馬談もさまざまな師から天文・易・道論などの教えを受け〔李 (1988)、pp.49-52、第二章 司馬遷の父 2.司馬談の思想の淵源〕、漢王朝に仕え、司馬遷3歳の年から〔『史記』「太史公自序」3〕元封までの約30年間にわたり太史公の官職〔を得ていた〔李 (1988)、pp.52-58、第二章 司馬遷の父 3.批判精神と道家の立場〕。談は道家的思想を基礎に、旺盛な批判精神を持ち、先祖が取り組んだ歴史書編纂事業への熱意を常々抱えていた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「司馬遷」の詳細全文を読む
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