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各務原市立尾崎小学校(かかみがはらしりつ おざきしょうがっこう)は、岐阜県各務原市尾崎南町三丁目にある公立小学校。 1972年(昭和47年)、岐阜県住宅供給公社により、各務原市の権現山と岐阜市の三峰山の間の山を造成し、大規模団地の尾崎団地の建設が開始される。この尾崎団地の住民のために設置された小学校である。 == 沿革 == * 1972年(昭和47年) - 岐阜県住宅供給公社により、造成中の尾崎団地に小学校の建設が着工される。県住宅供給公社が校舎を建て、各務原市が買い取るという立替施行での着工である。 * 1973年(昭和48年) - 建設地(現在の各務原市尾崎西町)に固い岩盤が見つかるなどにより建設が困難となる。そのため、建設地を各務原市那加新加納外6ヶ所大字入会地字前山39ノ1に変更する。 * 1976年(昭和51年)4月6日 - 各務原市立那加第一小学校から分離独立し、各務原市立尾崎小学校が開設される。同時に地名変更により、住所が各務原市那加新加納外6ヶ所大字入会地字前山39ノ1から各務原市尾崎南町3丁目2番地になる。児童数は279人、9学級での開校であった。初代校長は女性の深尾敏子。 * 1976年(昭和51年)7月26日 - プール完成。 * 1976年(昭和51年)12月28日 - 管理棟、特別教室新築。 * 1977年(昭和52年)5月25日 - 山の上の立地条件から風が強く、運動場では常に舞い上がる砂埃に悩まされ、体育の授業にも影響が出ていた。その対策として、運動場部分4500平方メートルに芝生を敷き始め、同時にスプリンクラーを設置。その結果、全国的にも珍しい「芝生の運動場の小学校」としてマスコミなどで取り上げられる。芝生を靴で傷めないようにするため、また児童の健康増進の名目の下、各種体育イベントは児童は裸足で参加するのが恒例となった。 * 1978年(昭和53年)2月26日 - 体育館完成。 * 1978年(昭和53年)4月 - 管理棟に教室を増築。 * 1978年(昭和53年)5月10日 - 芝生の造成を更に3080平方メートル広げ、1周200メートルのトラックゾーン以外のすべての運動場部分が芝生に覆われることになった。 * 1979年(昭和54年)2月24日 - 校歌制定。「みどりの丘に」。和田三里作曲。作詞は小学校職員から募った作品を岸武雄が補作。 * 1980年(昭和55年)6月25日 - 大規模木造遊具を新設。児童からの公募で「遊び探検島」と命名。 * 1981年(昭和56年)3月 - 校舎東側の職員室棟(一部平屋建て)の2階、3階部分を増築し、新教室をつくる。このころ第2次ベビーブームの影響で児童数が急激に増えつつあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「各務原市立尾崎小学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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