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合巻 : ウィキペディア日本語版
合巻[ごうかん]
合巻(ごうかん)は、寛文期以降江戸で出版された草双紙類の、1804年(文化元年)頃に始まった最終形態。それまで5枚(5丁)1冊に別々に綴じていたのを、纏めて厚く綴じた。明治初期まで続いた。
== 歴史 ==
赤本黒本青本黄表紙と時代を下った挿画入り娯楽本草双紙は、左右1ページずつ木版摺りした和紙を2つに折り、その5枚(5丁)10ページ分に表紙・裏表紙を付けて1冊に綴じるのが原則で、それの数冊で1編の絵物語になっていた。大きさは、美濃紙半裁二つ折りの中本(約14×20㎝)が普通だった。現在のB6よりやや大きい。
古典を下敷きに、洒落・滑稽・諧謔を交えて風俗・世相を諷刺的に描き綴って売れていた黄表紙類が、松平定信寛政の改革期に、相次いで発禁にされ、業界は当座の厄除けに、黄表紙を勧善懲悪の仇討話に方向転換し、仇討話は筋が複雑で長編化して、10ページ1冊の冊数が増えた。そこで数冊を纏めて綴じてしまう工夫が生まれ、それを『合巻』と呼んだ。
1804年(文化元年)の、春水亭元好作・二代目歌川豊国画『東海道松之白浪』が、表紙に『全部十冊合巻』とうたっている〔早稲田大学図書館 古典籍総合データベース 〕。
:1806年の式亭三馬の『雷太郎強悪物語』が合巻の始まりとの説は、三馬の自己宣伝に発すると言う〔鈴木敏夫:『江戸の本屋(上)』、中公新書(1980)p.163〕。
読者の好みと世相の変遷に従い、内容は、仇討・お家騒動・古典の翻案・歌舞伎・教訓・変態・猟奇などに変遷した。
作者には、山東京伝十返舎一九曲亭馬琴山東京山式亭三馬柳亭種彦為永春水一筆庵主人墨川亭雪麿笠亭仙果、らがいた。絵師には、北尾重政歌川豊国勝川春扇葛飾北嵩二代目歌川豊国歌川国貞渓斎英泉歌川国直歌川国安歌川貞秀貞斎泉晁歌川貞重四代目歌川豊国落合芳幾、らがいた。
装丁も派手になったが、水野忠邦天保の改革(1841-1843年)で地味になり、そして又華美に戻ったものの、改革のあおりで為永春水と柳亭種彦は没し、作品の質はエログロの方向に低俗化して、明治に入り、大衆向けの小新聞の影響を受けて消滅した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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