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上方絵[かみがたえ] 上方絵(かみがたえ)は、江戸時代から明治時代に描かれた浮世絵の様式のひとつである。 江戸の浮世絵に対して、上方、つまり京都や大坂で作られたものを指す。作品の大半は役者絵で、江戸のものとは異なる独特の似顔絵表現を持つ。元禄期には、西川祐信が肉筆美人画や絵本の面で活躍し、彼の門人たちが細々と活動していたのみであった。この時期、上方では江戸のように、錦絵版画を新芸術として鑑賞するまでには到っていなかった。これは上方においては、本絵の伝統を重んじることや、絵本、名所記が盛んになったためであり、一枚絵はあまり好まれなかったのであった。しかし、江戸と上方との交流も時代が下るにつれて盛んとなってゆく。暫く時代が下って、寛政4 - 5年(1792年 - 1793年)の頃になると、流光斎如圭によって、勝川風を取入れた多色刷りのものが描かれ、後には葛飾北斎、歌川豊国、歌川国貞、歌川国芳らの流れを汲む上方在住の絵師たちが多数登場し、活躍している。北斎の門人では葛飾北広など、豊国の門人では滝川国広、国貞の門人では歌川貞升、長谷川貞信、国芳の門人では歌川芳梅が挙げられ、さらにこの芳梅の門人として明治期に活躍した野村芳圀などが挙げられる。 上方にて多数作られ、流行を極めた版画を合羽摺(かっぱずり)という。この合羽摺は、渋を引いた厚紙を切抜いて、刷毛(はけ)で絵の具を摺付けて作るものであった。但し時には、切り抜いた面から絵の具がはみだす場合も生じ、馬連の摺りとの区別が明確になってしまうこともあった。合羽摺は役者絵にとどまらず、絵本、挿絵本の彩色にも見られ、一枚摺では風景画、武者絵が描かれている。一枚絵の大きさは細絵、大判、間判、小判などがあり、中でも最も多いのが細絵で、次いで間判のものが多く制作された。また、相撲絵、地図などもあり、宝船、金のなる木、高砂などと言った祝儀絵も多く見られる。それ以外には引札、大小暦、芝居番付、節用集の他、双六、面子、立版古などの玩具絵には合羽摺の例が夥しく存在している。主要な合羽摺の作家として、岡本昌房、寺沢昌次、堀田行長、有楽斎長秀、清谷、括嚢、日本斎、不韻斎、国花堂らが挙げられる。 ==関連項目==
* 浮世絵 * 浮世絵師一覧
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上方絵」の詳細全文を読む
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