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合言葉(あいことば)は、共同体や仲間内で用いられる言葉の問答による合図の一種であり、互いが仲間であると認証するために、前もって問答を定めておいた言葉を指す。合い言葉とも記し、日本では、「山」と問われたら、「川」と答える合言葉が有名〔『広辞苑 第五版』岩波書店 一部参考。〕。合詞という表記も中世には見られる(例として、上泉信綱伝の『訓閲集』巻四、近世では『常山紀談』)。あるいは、仲間同士の主張を端的に表した標語、すなわちモットーも合言葉という。 == 歴史および使用例 == 日本の文献上、合言葉の使用例が初めて確認されるのは、『日本書紀』が記す壬申の乱の戦闘である〔『世界大百科事典 1 ア-アン』 平凡社 初版1972年(73年版) p.8.〕〔亀井輝一郎「近江遷都と壬申の乱」11頁。〕。その記述によると、田辺小隅が倉歴道の守備兵に夜襲をかけたとき、「金(かね)」と問われたら、「金」と答えるという合言葉を決めたという。この記述からも、7世紀末の飛鳥時代の頃から戦闘時の混乱に備えてあらかじめ合言葉が考えられていたことがわかる。 上泉信綱伝の『訓閲集』(大江家の兵法書を戦国風に改めた)巻四「戦法」の夜戦の項に、「合詞(あいことば)定め置くべし」と記述がある(表記は原文ママ)。また、船戦の項にも、「夜は拍子木を打ち、合詞(以下略)」と記されていることからも、水軍も合言葉の使用が必要とされたことがわかる。 『関東古戦録』巻一の記述として、天文15年(1546年)の川越城の戦いにおいて、夜戦を仕掛けることを決めた北条方が合言葉を定めたと記している(中世における関東での合言葉の例)。 『土佐物語』巻第四「秋山城夜討ち 吉良城軍(いくさ)の事」に、永禄3年(1560年)から5年(1562年)、秋山城に対して夜討ちに慣れた兵400人が攻める際、「合詞を約束」したと記述されている他、巻第五「秦泉寺に白岩夜討ちの事」において、「白岩より今井・大理辺を放火すべしと、相印、合詞を定め」と記述がみられる(中世における四国での合言葉の例)。前後の記事から永禄6年(1563年)5月5日に夜襲。 『常山紀談』の三津浜刈屋口の戦いにおいて、慶長5年(1600年)9月16日に、松前城家老の佃十成が夜討ちに際し、合詞を定めさせる記述が見られる〔『戦国最強の水軍 村上一族のすべて』 『歴史読本』編集部 編 新人物文庫 2014年 ISBN 978-4-04-600264-8 p.104.なお当合戦は、「海の関ヶ原」とも称される(当著より)。〕。 江戸時代、赤穂事件において、吉良邸の討ち入り計画で大石良雄は前もって合言葉を定めたとされる〔浄瑠璃・歌舞伎演劇の『仮名手本忠臣蔵』十段目では、合言葉を「天」に「川」と設定している。〕。 * 機械的な認証技術が進歩していなかった時代では、門番等は警戒状況が高まった時には合言葉が決められた。 * 田邊小隅は夜襲時の混乱に備え、合言葉を定めたが、戦国期の兵法書も夜戦を想定し、大石良雄の討ち入りも未明であり、いずれも(古代・中世・近世を通して)視界の悪い、夜襲時に備えて定められたという共通点がある。 21世紀初頭、被害が増加している振り込め詐欺の防止策として、家族間での合言葉を定めることが警察によって民間に推奨されている(例えば、ペットなど飼っていないのに「○○は元気?」とわざと尋ねるなど。引っかかって「元気だよ」と応えがあったら詐欺)〔映画『ターミネーター2』にも同様の手段(ペットの名)で電話先の相手を窺う演出が見られる。〕。現代では、共同体において財産を守るために電話内でも合言葉が必要となってきており、絆を確かめる手段としても合言葉が求められている(共同体でも用いられる一例)。 アメリカ陸軍では「サンダー」に対して「フラッシュ」と返すものがあった〔「メダル・オブ・オナー アライドアサルト」〕。BBCのドラマ『バンド・オブ・ブラザーズ』では逆に「フラッシュ」に対して「サンダー」となっているが、こちらが一般的である。 アメリカドラマ『ザ・パシフィック』では、ガダルカナル島の戦い時、米軍が合言葉を「ローレライ」とする場面が見られる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「合言葉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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