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日吉町吉利(ひよしちょうよしとし Hiyoshi-Chō Yoshitoshi)は、鹿児島県日置市の大字〔。旧日置郡吉利郷吉利村、日置郡吉利村大字吉利、日置郡日吉町吉利。人口は1,361人、世帯数は585世帯(2010年10月1日現在)〔2.男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等 (CSVファイル)( 平成22年国勢調査 小地域集計 46鹿児島県 ) - 総務省統計局 2012年2月7日閲覧。〕。郵便番号は899-3203。 文禄期から江戸時代末期まで現在の字域にあたる吉利郷吉利村は文禄期に禰寝(根占)郷(現在の錦江町大根占地域及び南大隅町小根占地域)から、一族・家臣ともども移封された禰寝氏(根占とも。後の小松氏)の領地であった。禰寝(根占)・小松氏の当主のなかには維新の十傑の一人小松清廉(帯刀)がいる。禰寝と根占の字は清廉の日記でも併用されている。 == 地理 == 日置市の西部、大川の下流域に位置している。字域の北方には日置市日吉町日置、南方には日置市吹上町永吉、東方には日置市伊集院町古城、日置市伊集院町飯牟礼、鹿児島市入佐町がそれぞれ隣接しており、西方には東シナ海に面している。 西部には吹上浜の砂丘が南北に広がっており、周辺には防砂林が多く所在している。付近には国道270号が南北に通っており、日置市立吉利小学校が所在している。 以前は鹿児島交通枕崎線が南北に通っており、中央部には吉利駅が所在していたが、1984年(昭和59年)に廃止された。線路跡は廃止後に自転車道となり、鹿児島県道加世田日吉自転車道線となった。 東方には鹿児島県道35号永吉入佐鹿児島線が通り、その沿線に日置市立扇尾小学校が所在している。 また、字域の北部にある園林寺跡には小松重春までの歴代の禰寝氏(根占・小松氏)の歴代領主の墓があり、その中には経済に辣腕をふるった禰寝清雄、小松氏に名字を改めた最初の人物小松清香、最も著名な小松清廉(小松帯刀)の墓が立つ〔小松帯刀が眠る園林寺跡 - 鹿児島県公式ウェブサイト 2011年7月11日閲覧。〕。彼らはすべて薩摩藩家老職を務めている。また園林寺跡は日置市の指定文化財に指定されている〔文化財・伝統芸能 - 日置市公式ウェブサイト 2011年7月11日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日吉町吉利」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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