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吉川 元経(きっかわ もとつね)は、戦国時代の武将。安芸国国人・吉川氏13代当主。 == 生涯 == 永正8年(1511年)の船岡山合戦には父と共に参陣〔。永正14年(1517年)、安芸武田氏当主武田元繁が吉川領の有田城を攻撃すると、弟宮庄経友を派遣し、毛利元就との共同作戦によって元繁らを討ち取った(有田中井手の戦い)。 その後方針を転換し、山陰の雄尼子経久の傘下に入る。元経の妻は毛利弘元の娘であり、妹は毛利元就の妻であった。そのため吉川氏が尼子氏傘下になると、毛利氏に対しても尼子氏に従属するように勧誘した〔。 家督を継いで間もない大永2年(1522年)、父に先立って死去〔。子の興経が跡を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉川元経」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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