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吉川元長 : ウィキペディア日本語版
吉川元長[きっかわ もとなが]

吉川 元長(きっかわ もとなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将毛利氏の家臣。
== 生涯 ==
天文17年(1548年)、吉川元春の嫡男として生まれた。その2年後に父母と共に小倉山城に入り、同年中に日野山城へと移った。ここで幼年期を過ごす。
永禄4年(1561年)に伯父・毛利隆元の加冠により元服し、元資(もとすけ)と名乗った。永禄8年(1565年)から始まる月山富田城の戦いにおいて、従兄弟の毛利輝元と共に初陣を飾った。その後も父・元春に従い、山陰各地で尼子残党との戦いを繰り広げている。
天正元年(1573年)に元長と改名し、父と共に山陰に出兵する。天正元年(1574年)には所領に万徳院を建立した。同年因幡国に進出した尼子残党の征伐を行なったが、尼子残党は執拗に再起を繰り返した。しかし天正6年(1578年)の上月城の戦いで、尼子勝久山中幸盛らを自刃させもしくはこれを処刑し、禍根を断つことに成功している。天正9年(1581年)には織田信長方の羽柴秀吉に攻囲された吉川経家が籠る鳥取城の救援に向かったが、兵力差のために手出しができず、元春率いる本隊を待ちきれずに鳥取城が降伏し、吉川経家は自刃した。
天正10年(1582年)、本能寺の変を契機として羽柴秀吉と毛利氏が和睦すると、秀吉への姿勢において輝元・小早川隆景と元春の間に差が生じたため、元春は12月に隠居した。以後家督を継ぎ、天正13年(1585年)の四国攻めなどに出陣した。
天正14年(1586年)、父と共に秀吉の九州平定に出陣した。同年冬に元春が病のために小倉城にて死去すると、その後を追うように、天正15年(1587年)5月、出陣先の日向で病に倒れ、6月15日に日向都於郡で病死した。享年40。跡を弟の広家が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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