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吉川潔[きっかわ きよし]
吉川 潔(きっかわ きよし、1900年(明治33年)11月3日 - 1943年(昭和18年)11月25日)は、日本海軍の軍人〔#太平洋戦争の提督たち163頁〕。戦死後、二階級特進して海軍少将〔#太平洋戦争の提督たち159-160頁〕。広島県広島市段原町出身。海兵50期〔。 == 来歴 == 父は漢学者〔#戦争の素顔39頁〕。七男四女のうち、四男〔。旧制広陵中学(現・広陵高等学校)を卒業後、海軍兵学校を受験するが身長と胸囲不足で不合格〔。口惜しさから器械体操と陸軍被服廠での積荷作業で体を鍛え上げた〔。翌1919年(大正8年)兵学校(海兵50期)に合格〔。兵学校時代は成績も下の方で「寡黙の吉川」といわれるほど目立たなかった〔。「量も大切だが最後を決するのは質と精神だ」を口癖としていたという〔。1922年(大正11年)6月、海軍兵学校卒業。 この後、吉川は終生駆逐艦と共に過ごす。「長月」、「鳥海」の水雷長などを経験。つづいて「春風」、「弥生」、「山風」、「江風」と四つの駆逐艦長を経験〔#戦争の素顔36頁〕。1939年(昭和14年)11月、海軍中佐。 1940年(昭和15年)11月、第二水雷戦隊・第8駆逐隊「大潮」駆逐艦長に補され、40歳で太平洋戦争に臨む〔#太平洋戦争の提督たち164頁〕。前述のように、4隻の駆逐艦の艦長を歴任。豪胆さ、偉ぶらない人柄、部下達に対する思いやりで信望を集めた〔#良い指揮官P.230-231頁〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉川潔」の詳細全文を読む
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