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吉川経倫[きっかわ つねとも]
吉川 経倫(きっかわ つねとも)は、江戸時代後期の周防国岩国領の第7代領主。 == 生涯 == 延享3年(1746年)、徳山藩5代藩主・毛利広豊の九男として、江戸で生まれた。元服後に毛利豊房と名乗った。岩国藩第6代当主・吉川経永の男子はいずれも夭折したため、宝暦8年(1758年)に継嗣として迎えられた。その後宝暦12年(1762年)に幕府の許可を得て経永と正式に養子縁組を行い、明和元年(1764年)経永の死去により家督を継いだ。 経倫の時代は、先代までの領財政の窮乏が積み重なり、破綻寸前の危機的状況にあった。その上幕府の普請に借り出されたり、錦川では水害が発生したり、岩国の陣屋町では大火災が発生したりと苦難が相次いだ。寛政4年(1792年)に長男・経忠に家督を譲って隠居。翌年、新築された隠居館の昌明館に移り、享和3年(1803年)に死去した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉川経倫」の詳細全文を読む
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