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吉川 経光(きっかわ つねみつ)は、鎌倉時代中期の武士、御家人。吉川氏4代当主。 仁治元年(1240年)に父吉川朝経が死去。この時の経光の年齢は49歳であり、それ以前に家督を相続していたと思われる。事実、経光は承久3年(1221年)の承久の乱でも鎌倉幕府側として参戦しており、京都の宇治橋の戦いにて戦功を挙げ、本領の駿河国吉河荘、播磨国揖保郡福井荘に加えて、安芸国大朝荘の地頭職に任ぜられた。 経光の子らが安芸吉川氏、石見吉川氏、播磨吉川氏、駿河吉川氏、境吉川氏の祖となった。 == 参考資料 == * 萩藩閥閲録 * 北広島町史 * * つねみつ category:鎌倉時代の武士 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉川経光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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