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吉植庄一郎[よしうえ しょういちろう]
吉植 庄一郎(よしうえ しょういちろう、1865年10月27日(慶応元年9月8日〔衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、11頁。〕) - 1943年(昭和18年)3月10日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党→立憲政友会)、ジャーナリスト。子は歌人・衆議院議員の吉植庄亮。 == 経歴 == 下総国印旛郡本埜村(現在の千葉県印西市)出身。北海道に渡り開墾に従事したが、北海道時事新聞社を興し、社長に就任した。やがて他の新聞との合併で北海タイムス新聞社が成立すると、理事を務めた。 1904年(明治37年)、第9回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は9回を数えた。議員就任後、政友会系新聞の中央新聞や大阪新報の経営にあたり、原内閣で文部参事官、田中義一内閣で商工政務次官を務めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉植庄一郎」の詳細全文を読む
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