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吉橋大師講 : ウィキペディア日本語版
吉橋大師講[よしはしだいしこう]
吉橋大師講(よしはしだいしこう)とは、千葉県八千代市吉橋を中心とした地域で行われていた、四国八十八箇所を写した88か所の霊場札所を巡るである。吉橋組大師講または単に吉橋大師などとも呼ばれる。寺院のみならず、神社にも札所が配されている特徴がある。
== 概要 ==
吉橋大師講は吉橋を中心とする周辺集落の住民によって構成された。巡拝は通例、毎年春と秋の彼岸の後に3日から5日間の日程で行われた。先達のほか「南無大師遍照金剛」の幟を持つ旗持ち、鉦叩きなど役割分担がなされ、導師とともに隊つくり、白衣に輪袈裟、菅笠の揃いの姿で歩いた。札所では地元の住民によるお接待が行われ、餅や総菜、菓子などが振舞われ、そのお礼として歌や踊りが披露された。お接待の費用は講の参加者から支払われ、また酒は参加者に持ち込む義務があった。札所のある本堂や周辺住民宅に分宿したが、近隣の参加者は一旦帰宅し、翌朝合流した。
分割・再編によって設立された経緯や廃仏毀釈や急速な宅地化の影響などから札所の見直しが頻繁に行われたことから、札所の配置が複雑であり、同一の敷地の中に離れた番号の札所が配されていることも珍しくない。そのため現在でも札所番どおりの順巡りすることはほとんどない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉橋大師講」の詳細全文を読む



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