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吉橋徳三郎[よしはし とくさぶろう]
吉橋 徳三郎(よしはし とくさぶろう、1871年1月3日(明治3年11月13日) - 1920年(大正9年)8月5日〔『日本陸海軍総合事典』第2版、171頁。〕)は、日本の陸軍軍人。陸軍士官学校士官候補生2期、陸軍大学校卒業。騎兵科に属し、第一次世界大戦後に日本陸軍で騎兵の乗馬戦闘廃止論争が生じた際、騎兵科を代表して乗馬戦闘存続を主張したが、論争の末に自殺した。最終階級は少将。 == 生涯 ==
=== 日清戦争・日露戦争での従軍 === 陸軍士官学校に士官候補生2期として入校し、1892年(明治25年)に卒業した。日清戦争では、騎兵第6大隊の小隊長として従軍し、功五級金鵄勲章を受けた。その後、陸軍大学校を卒業。日露戦争時には、少佐で第3師団作戦主任参謀を務め、その功績により功三級金鵄勲章を受けた〔佐久間(1970年)、85頁。〕。 日露戦争後は、第7師団参謀長、陸軍騎兵学校長などを歴任。1916年(大正5年)8月18日、陸軍少将に昇進し騎兵第4旅団長に就任した〔『官報』第1217号、大正5年8月19日。〕。
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