翻訳と辞書 |
吉江資堅[よしえ すけかた]
吉江 資賢(よしえ すけかた)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。越後国の戦国大名・長尾氏(上杉氏)の家臣。近江国出身で、上杉謙信の晩年期に側近となった。魚津城の戦いにおける守将の一人。 == 生涯 == 出身地は近江国だったが、上杉謙信に奉公し吉江氏の名跡を引き継ぐ。謙信の晩年に側近となる。 天正3年(1575年)の「上杉家軍役帳」によると105人の軍役を課せられていた。 謙信没後、御館の乱では上杉景勝側につき、手柄を立てた。それ以来景勝の信頼も厚く、河田長親が城主を務める越中国魚津城の守備となり、天正10年(1582年)の魚津城の戦いでは上杉氏の守将となって奮戦するも、同年6月3日に織田方の大将柴田勝家に攻め落とされ自害した。本能寺の変の翌日のことである。享年45。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉江資堅」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|