|
吉田 兼熈(よしだ かねひろ)は、南北朝時代の神祇官、吉田神社社務。卜部氏17代。父は卜部兼豊。1375年(永和元年・天授元年)それまでの宿禰を改め朝臣の姓を賜った〔1375年、後円融天皇より卜部朝臣を賜姓される。〕。吉田卜部氏の中興の祖とされる。 == 経歴 == 1378年(永和4年・天授4年)室町幕府3代将軍足利義満が室町第に移ったことから、それまで名乗っていた室町をはばかって、社務を務める吉田を家名とした。1386年(至徳3年・元中3年)それまでの父祖の官位の例(神祇伯の相当位階は従四位下)を超えて従三位に叙され、公卿に列せられた。1392年(明徳3年・元中9年)には南北朝合一に向けての交渉(明徳の和約)にあたった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉田兼煕」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|