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吉田勝豊 : ウィキペディア日本語版
吉田勝豊[よしだ かつとよ]

吉田 勝豊(よしだ かつとよ、1935年3月21日 - 2016年3月9日)は、佐賀県武雄市出身の元プロ野球選手外野手)。
== 来歴・人物 ==
武雄高校から日鉄二瀬に進む。の都市対抗井洋雄投手を擁し四番打者として出場。1回戦で本塁打を放ち富士鉄室蘭を降すが、2回戦で日本コロムビアに9回サヨナラ負け。井以外の日鉄二瀬のチームメートには古葉竹識江藤慎一らがいた。
東映フライヤーズに入団、1年目から左翼手として100試合以上に出場する。その後は中堅手一塁手もこなし、にはリーグ8位となる打率.298をマーク。翌には打率.306で初の打率3割に到達し、外野手としてベストナインも受賞した。
安藤元博石原碩夫とともに、池沢義行山崎正之坂崎一彦との交換トレードで、読売ジャイアンツに移籍。1年目はレギュラー中堅手として五番あるいは六番打者を任される。3度目のオールスターゲームにも出場した。翌からは柴田勲の台頭もあって出場機会が漸減、に益田昭雄とともに、井上善夫との交換トレードで西鉄ライオンズに移籍。に現役引退。
引退後はからまでロッテオリオンズでコーチを務めた。
2016年3月9日、肺炎のため都内の病院で死去〔吉田勝豊氏が死去、80歳 王、長嶋らと巨人V貢献 日刊スポーツ 2016年3月11日閲覧〕。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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