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吉田正 : ウィキペディア日本語版
吉田正[よしだ ただし]

吉田 正(よしだ ただし、1921年1月20日 - 1998年6月10日)は、茨城県日立市出身の国民歌謡作曲家。死後の1998年7月に国民栄誉賞受賞。
生涯作曲数は2400曲を越える。都会的で哀愁漂うメロディーは都会調歌謡と称され、ムード歌謡から青春歌謡リズム歌謡まで幅広く手掛けた。また、鶴田浩二三浦洸一フランク永井松尾和子橋幸夫和田弘とマヒナスターズなど多くの歌手を育て上げ、日本歌謡史の黎明期を支えたひとりである。
== 略歴 ==

*1921年(大正10年)1月20日茨城県多賀郡高鈴村(現在の日立市)に生まれる。
*1939年(昭和14年)3月、日立工業専修学校卒業。
*1939年(昭和14年)4月、増成動力工業株式会社に入社。
*1942年(昭和17年)1月、満州国黒河省漱江に展開していた陸軍水戸歩兵第二連隊に入隊。
*1944年(昭和19年)急性盲腸炎のためペリリューの戦いに参戦せず満州に残る。
*1945年(昭和20年)10月、敗戦と同時に、ソビエト連邦シベリア地区に抑留される(シベリア抑留)。従軍中に作曲した『大興安嶺突破演習の歌』に、抑留兵の一人が『昨日も今日も』と言う詩を付け、よみ人しらずで抑留地に広まり歌われる。(後の『異国の丘』)
*1948年(昭和23年)8月、NHKラジオの素人のど自慢でシベリア復員兵の中村耕造が、よみ人しらず「俘虜の歌える」と題して歌い話題となる。
*1948年(昭和23年)8月、ラジオ放送直後、舞鶴港に復員。半月の静養の後、話題も知らず入隊前の会社に復帰。
*1948年(昭和23年)9月、佐伯孝夫が補作詞し、『異国の丘』としてビクターレコードより発売。
*1949年(昭和24年)4月、日本ビクターに専属作曲家として入社。
*1960年(昭和35年)12月、『誰よりも君を愛す』で第2回日本レコード大賞を受賞。
*1962年(昭和37年)12月、『いつでも夢を』で第4回日本レコード大賞を受賞。同賞では後にその功績をたたえ『吉田正賞』を制定した。
*1968年(昭和43年)12月、第10回日本レコード大賞特別賞受賞。
*1969年(昭和44年)4月、芸術選奨文部大臣賞を受賞。
*1982年(昭和57年)11月、紫綬褒章を受章。
*1989年(平成元年)日本音楽著作権協会会長に就任。
*1990年(平成2年)12月、第32回日本レコード大賞功労賞受賞。
*1992年(平成4年)4月、勲三等旭日中綬章を受章。
*1993年(平成5年)3月、日本放送協会放送文化賞受賞。
*1993年、日本作曲家協会会長に就任。
*1997年(平成9年)日本作曲家協会名誉会長に就任。
*1998年(平成10年)6月10日肺炎のため死去。享年77。叙・従四位。作曲家としては3人目となる国民栄誉賞を受賞。日立市名誉市民として顕彰された。
*2004年(平成16年)生誕の地である茨城県日立市のかみね公園に『吉田正音楽記念館』開設。
*2005年(平成17年)日立市内の常磐線の駅(大甕駅-十王駅)の発車メロディに吉田作曲のメロディーが採用される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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