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吉田貞重 : ウィキペディア日本語版
吉田貞重[よしだ さだしげ]
吉田 貞重(よしだ さだしげ、生没年不詳)は、安土桃山時代武将長宗我部氏の家臣。吉田孝頼の子。子に吉田重親。通称は次郎左衛門。
== 生涯 ==
土佐国戦国大名・長宗我部氏の家臣・吉田孝頼の子として誕生。弟に吉田周重がいる。
父同様に長宗我部氏に仕えた。永禄12年(1569年)に安芸国虎を攻めた際に、敵との交戦中に槍で目を突かれて重傷を負うが、その敵を突き伏せてその首を取った。その後も長宗我部元親四国制覇に貢献した。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで長宗我部氏は改易となり、山内一豊が土佐国の領主となると、主家再興を願う長宗我部遺臣が浦戸城を占拠して立て籠もった浦戸一揆が発生した。貞重はこの一揆を批判して浦戸城の開城を勧めた。貞重が一揆に加わらなかったのは、元親晩年の後継者争い、長宗我部盛親による兄・津野親忠殺害への不信があったためといわれている。
その後、貞重は250石で保科正光に仕えた。没年不詳。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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