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吉田 重俊(よしだ しげとし、明応7年(1498年)? - 元亀元年(1570年)?)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長宗我部氏の家臣。通称は大備後。 == 生涯 == 長宗我部国親、長宗我部元親の2代に渡って仕えた。智勇に優れ、国親の大津城攻撃では長宗我部軍の先手として活躍する。1558年に上夜須城主に任ぜられる。1569年から始まる安芸国虎討伐戦においては、一族の吉田孝俊と共に奇計によって安芸軍を敗走させ、籠城した安芸軍を計略を以って内部崩壊に導いた。 夜須川の(海津見神社)に、孫の吉田俊孝奉造造立の棟札が残る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉田重俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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