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吉田 竜夫(よしだ たつお、本名:吉田 龍夫(読み方は同じ)、1932年3月6日 - 1977年9月5日)は、日本の昭和時代中期から後期の漫画家、アニメ原作者。アニメ製作会社竜の子プロダクション(タツノコプロ)の設立者・初代社長。 京都府京都市出身。 ==経歴== *1932年3月6日、京都府京都市生まれ。戦後間もなく両親を失う。 *:タツノコプロ創業経営者一族の「吉田三兄弟」の長男。弟は吉田健二(アニメプロデューサー、タツノコプロ第2代社長・初代会長)と九里一平(本名:吉田豊治、漫画家・アニメプロデューサー・タツノコプロ第3代社長)。 *:4人の娘を設け、長女は吉田すずか(デザイナー・イラストレーター)、次女は中野ちひろ(タツノコプロ編集技師)、三女は石川みちる(アニメ制作会社Production I.G役員)、三女みちるの元夫は石川光久(Production I.G社長)。 *:絵は独学で学び、地元・京都の新聞社で働いた後東京へ行き、1954年頃から挿絵画家・絵物語作家として活動。その後漫画家に転向する。 *1955年、梶原一騎原作の『鉄腕力也』で漫画家デビュー。 *1962年、健二、九里一平と共にアニメ制作会社「竜の子プロダクション」(タツノコプロ)を設立。初代の社長に就任。 *:これ以降は漫画執筆から徐々に離れ、アニメに専念。タツノコプロの数々の名作アニメの原作を担当。また天野嘉孝とともにキャラクターデザインも担当した。 *1971年、第17回小学館漫画賞受賞(『みなしごハッチ』)。 *1977年9月5日、肝臓がんのため死去。45歳。 *:遺作となった『ヤッターマン』『一発貫太くん』『風船少女テンプルちゃん』は、没後も最終回まで竜夫の名が製作者としてクレジットされた。 *:また、カリスマ的な経営者であったようで、吉田の死と前後してタツノコプロからは多くの人材が流出した。 *2005年、「日本のアニメを作った20人」特別功労者賞受賞(長女すずかが代理で受け取る)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉田竜夫」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tatsuo Yoshida 」があります。 スポンサード リンク
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