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吉野元順 : ウィキペディア日本語版
吉野元順[よしのもとじゅん]

吉野 元順 (?)
代々漢医業を生業とする。名前は世襲している。明治以降は東京府士族田安家御抱医師、東京府医師会第三大区幹事。
文化年間(1810年前後)に父元順が市谷御先手同心組屋敷、および市谷甲良屋敷(現在の市谷甲良町1番地、および市谷柳町25番地の一部)を地借りし、医塾「回春堂」を開塾する(東京府開学調書)。市谷牛込切絵図に「イシ」として、同所に記載される。居住屋敷は内藤新宿にあった。
明治維新後、居を市谷甲良町1番地に移し、幹事を勤めていた。ただ、この塾がいつ廃塾したかは定かではない。
元順の死亡日は確認できない(明治18年以降)が、亡き後に家督を相続した息子の元良(医師)が塾を継いでいないことから、明治10年代には廃塾したものと思われる。
吉野家は明治末期に元良が死亡したため、このころに医業は廃業したようだ。息子の辰彦は大正年間まで市谷甲良町に住んでおり、現在子孫は関西にいる。
菩提寺は牛込天神町芳心院。墓碑は同町済松寺墓所にある。
== 参考文献 ==
東京府公文書等。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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