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南朝 (日本)[なんちょう] 南朝(なんちょう)は、吉野朝廷(よしのちょうてい)とも称され、南北朝時代に京都以南の大和国の吉野(奈良県吉野郡吉野町)、賀名生(同県五條市西吉野町)、摂津国の住吉(大阪府大阪市住吉区)を本拠とした大覚寺統の後醍醐天皇に属する朝廷。1336年から1392年まで56年あまり存続し、叙位や元号の制定など政権としての機能を有した。 == 概要 == 京都の南にある吉野に拠点を設けたことから京都にあった北朝に対して南朝と呼ばれているがこれは後世に成立した呼び名ではなく、当時の日記などの記録においても「南朝」「南方」などの名称で呼ばれていた。また、吉野が古来より「南山」とも称された金峯山の山中にあったことから、「南山(=吉野)の朝廷」という意味もある。そのため、京都にある北朝の存在を認めない南朝の人々の間においても後者の意味により、「南朝」「南方」などの呼称が用いられた〔恵梵書写『新葉和歌集』奥書、「南部文書」所収北畠顕信書状など。〕。なお、後醍醐天皇の在世中の行宮は吉野行宮にあったものの、以後は南朝の興隆・衰退に従って大和・河内・摂津・山城などの諸国に行宮を移転させており、南朝の歴史全体からみた場合、吉野に行宮があった期間は長くはなかった〔村田正志「吉野」『日本地名大辞典』第6巻(日本書房、1938年)、後 『村田正志著作集 第2巻続南北朝史論』(思文閣出版、1983年)に所収。〕。
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Southern Court 」があります。
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