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名鉄100系電車(めいてつ100けいでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)が1979年から運用している通勤型電車である。 名古屋市営地下鉄鶴舞線との相互直通運転のために導入された車両で、名鉄が製造した車両としては初となる20m4扉ロングシートの電車である〔。1980年には鉄道友の会よりローレル賞受賞車両に選出された〔。当初は4両編成で製造されたが、地下鉄直通運転の本格化に伴い6両編成に増強された。 本項では、同様の車体で制御方式が変更された増備車である200系についても記述する。また、特定の編成について記す場合は、豊田線内で豊田市向きの先頭車の車両番号をもって編成呼称とする(例:豊田市向き先頭車の車両番号がモ111の編成であれば「111編成」)。 == 登場の経緯 == 名鉄豊田線は、名鉄の前身のうちの1社である新三河鉄道が1926年10月に免許を受けた、挙母(当時)と大曽根を結ぶ鉄道敷設計画に端を発する〔。その後、新三河鉄道の保有していた敷設の権利は1937年に三河鉄道に継承され〔、その三河鉄道も1941年に名古屋鉄道に合併となった〔が、本格的な工事は行われないままであった〔。 1950年代以降の高度成長期の中、豊田市は自動車産業の隆盛により人口が急増していた〔が、名古屋市から豊田市方面に至る地域には鉄道がなく、道路交通が主体となっていた〔。また、名古屋都市圏においては、自動車の急激な増加による路面交通の混雑により、通勤輸送の逼迫や交通公害の発生による都市交通問題が深刻なものとなっていた〔。このため、運輸大臣の諮問機関である都市交通審議会の名古屋圏部会は、1972年に既設路線を含めて総延長139kmの路線網を答申した〔が、この中に名古屋市と豊田市を結ぶ鉄道が含まれていた〔。この都市交通審議会の答申を受け、名鉄では新三河鉄道から継承された免許区間のうち、地下鉄3号線と競合する八事と赤池の間の権利を名古屋市に譲渡した〔上で、赤池と豊田市の間については名鉄が建設し、車両や設備の規格をあわせて相互直通運転を行うことになった〔。 一方、名鉄では自社区間の通勤車両として1976年に6000系を登場させていたが、この6000系では両開き3扉の通勤用車両でありながら居住性向上という観点から固定クロスシートを採用していた〔。しかし、名古屋市営地下鉄との相互乗り入れにあたり、相互直通運転に使用する車両の規格は統一することとしており、豊田線と地下鉄を直通運転する車両は全長20m・4扉ロングシートという前提条件があった〔。そこで、名鉄では「機能一点張り」というイメージをなくすべく、「機能は通勤型であるが乗車感覚は特急型」という基本方針を打ち出した〔。 こうした経過の後、地下鉄への直通運転に使用する車両として登場したのが100系である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「名鉄100系電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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