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名岐鉄道デボ300形電車(めいぎてつどうデボ300がたでんしゃ)は、現・名古屋鉄道(名鉄)の前身事業者の一つである名古屋電気鉄道が導入した1500形電車のうち1507 - 1509の3両について、名古屋電気鉄道の後身である名岐鉄道当時の1935年(昭和5年)に実施された形式称号改訂に際して付与された形式区分である。 デボ300形に区分された3両は、1920年(大正9年)に製造された名古屋電気鉄道初の2軸ボギー構造を採用した木造車体の電車(制御電動車)で、「郡部線」と通称される鉄道線区間に導入された。 本項では、デボ300形と同様の経緯によって個別の形式称号が付与された、名古屋電気鉄道1500形1501 - 1506・1510を由来とする1921年(大正10年)製のデボ350形電車についても併せて記述する。 == 沿革 == 名古屋市を中心として鉄道事業を展開した名古屋電気鉄道は、現在の名鉄名古屋本線の一部や名鉄犬山線・名鉄津島線などに相当する「郡部線」と呼称される路線区へ導入する目的で〔、1920年(大正9年)に同社初となる2軸ボギー構造の電車を新製した〔。当初10両の導入を予定し、同年2月に1500形1507 - 1509の3両が自社那古野工場において落成した〔。木造二重屋根(ダブルルーフ)構造の車体の両端部に乗降口を備え、従来型の4輪単車がオープンデッキ構造であったのに対し〔、乗降口には引扉式の片開客用扉を設けた〔。また、制御方式は名古屋電気鉄道においては初採用例となる間接制御仕様とし、直接制御仕様であった従来車とは異なり総括制御を可能とした〔。 残る1501 - 1506・1510の7両についても引き続き製造が進められたが、同年6月3日に発生した那古野車庫・工場の火災によって落成直前の最終艤装段階にあった同7両は全車とも焼失し〔、導入計画に狂いが生じた。結局同7両は翌1921年(大正10年)2月に再度車体を新製して落成したが〔、車体設計について見直しが行われた結果、1507 - 1509が2扉構造であったのに対して車体中央部にも客用扉を増設して3扉構造に変更されるなど、仕様が変化した〔。 これら10両は1921年(大正10年)7月に名古屋電気鉄道より旧・名古屋鉄道へ継承され、旧・名古屋鉄道が美濃電気軌道との合併を機に1930年(昭和5年)9月に社名を名岐鉄道と改称したのちに実施された形式称号改訂に際しては、1507 - 1509はデボ300形301 - 303と、1501 - 1506・1510はデボ350形351 - 357と、それぞれ形式称号および記号番号を改めた〔。 その後、一部車両の郵便合造車への改造や電装解除による制御車化改造など、現・名古屋鉄道(名鉄)成立後に実施された複数回におよぶ改造・改番を経て〔、名岐デボ300形・デボ350形を由来とする10両の車両群は、最終的に前者が制御車ク2270形へ、後者が制御電動車モ350形へそれぞれ形式称号を改め、1962年(昭和37年)まで運用された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「名岐鉄道デボ300形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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