翻訳と辞書 |
向上庵のシダレザクラ[こうじょうあんのしだれざくら] 向上庵のシダレザクラ(こうじょうあんのシダレザクラ)は、茨城県土浦市(以前の茨城県新治郡新治村)小野地区の向上庵境内に生育していたシダレザクラの巨木である。樹齢は約300年とされ、1970年に茨城県の天然記念物に指定された〔大貫(2010)、213頁。〕。2011年9月の台風15号による強風被害を受けて根元から折れたために伐採されたが、2012年4月10日付の毎日新聞茨城県版が「見ごろを迎えた」との虚偽記事を掲載していたことが判明した〔『読売新聞』2012年4月12日付夕刊、第4版、第12面。〕〔昨秋折れた桜を「見頃」と掲載 毎日新聞 MSN産経ニュース、2012年5月24日閲覧。〕〔台風で折れた桜「花見にぎわう」毎日記事に土浦市、訂正要求 2012年4月12日(木) 茨城新聞ニュース、2012年5月24日閲覧。〕〔筑波の桜の名所 つくば新聞、2012年5月24日閲覧。〕。この事態を受けて、毎日新聞は同年4月12日付の茨城県版紙面にお詫びの記事を掲載した〔〔〔。 == 由来 == 向上庵は正式な名を翠巌山向上庵(すいがんさんこうじょうあん)といい、暦応年間(1338年 - 1342年)に、小田氏の第8代当主である小田治久が創建したと伝えられる〔。創建当初は臨済宗中峯派に属していたが、その後臨済宗建長寺派の寺院となった〔。向上庵は、天正年間(1573年 - 1592年)の戦火によって堂宇を失っている〔。 向上庵のある小野地区は筑波山麓に位置し、平安時代の名高い歌人でその美貌でも知られる小野小町ゆかりの地といわれる。京からみちのくへの旅路で病を得た小町はこの地で力尽き、村長の家で手厚く介抱されたが、元慶7年(883年)7月7日、69歳で亡くなったと伝えられ、小野地区には彼女の墓標とされる五輪塔が残されている〔小野小町之墓 2012年5月24日閲覧。〕〔大貫(2002)、151-153頁。〕。 向上庵への参道は細い石段が続き、その石段脇、本堂のすぐ前にこのシダレザクラの巨木がそびえていた〔。 樹齢は約300年、樹高はおよそ10メートル、幹回りは3メートル、四方に広がる枝張りは約15メートルに達していた〔〔向上庵のシダレザクラ 2012年5月24日閲覧。〕。地上から約3メートルのところで幹が二股に分かれ、満開の時分には大きな花傘のような美しい花姿を見せ、樹勢は旺盛であった〔〔。このシダレザクラは、1970年5月25日に茨城県の天然記念物の指定を受けた〔〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「向上庵のシダレザクラ」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|