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向井正綱[むかい まさつな] 向井 正綱(むかい まさつな、弘治2年(1556年)〔柴(2015)、p.645〕 - 寛永元年3月26日(1624年5月2日)〔柴(2015)、p.645〕)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。向井正重の子。子に向井忠勝、向井正通ら。名は政綱とも。通称は兵庫助。なお「向井」と名乗ったのは正綱からで、それ以前は「向」であった。 == 出自 == 鈴木かほるによれば、氏祖は仁木義長の子長宗であり、向氏の発祥地は伊賀・伊勢の国境に位置する伊賀国向庄である。この地は太閤検地により伊勢国に属した伊勢国鈴鹿郡関町大字加太向井である〔「戦国期武田水軍向井氏について―新出『清和源氏向系図』の紹介―」『神奈川地域史研究』16号 1998年。〕。おそらく義兄長谷川長久の招きであろうが、正綱の父正重のとき駿河に渡海し今川義元に仕えている。正重は今川氏滅亡の後は武田信玄より「海賊の儀」として招かれ、「駿州四海賊」の一として度々の感状を賜っている。ところが天正7年(1579年)9月、徳川家康の攻撃を受け駿河持舟城において城代三浦義鏡とともに死守し、養子政勝(実父は長谷川長久)とともに自害し果てている。 武田勝頼が滅亡すると、子正綱は徳川家康の帰属し海上軍事官僚として御召船奉行として活躍している。「向」を「向井」と書くようになったのは正綱からであり、将監と称したのは子忠勝である〔『史料が語る向井水軍とその周辺』新潮社図書編集室 2014年 17・21・41・43頁〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「向井正綱」の詳細全文を読む
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