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豊見城御殿(とみぐすくうどぅん)は、尚貞王の次男・尚経、豊見城王子朝良(1662年 - 1687年)を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家で、代々豊見城間切(現:豊見城市)の按司地頭を務めた琉球王国の大名。 二世・朝匡は尚敬王の摂政で、1710年には謝恩使として江戸上りを行っている。七世・朝春も尚灝王の摂政となり、1832年にやはり謝恩使として江戸へ向かったが、途中急死するという不幸に見舞われた。六世・朝興の娘は尚灝王妃、七世・朝春の娘は尚育王妃となった。 == 系譜 == * 一世・豊見城王子朝良 * 二世・豊見城王子朝匡 * 三世・豊見城按司朝長 * 三世・豊見城按司朝真 * 四世・豊見城王子朝儀 * 五世・我那覇按司朝富(早世) * 六世・豊見城王子朝興 * 七世・豊見城王子朝春 * 八世・豊見城王子朝尊 * 九世・豊見城按司朝睦 * 十世・豊見城按司朝煕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「豊見城御殿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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