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大阪大学[おおさかだいがく]
文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校である。 == 概観 ==
=== 大学全体 ===
大阪大学は、1838年(天保9年)に緒方洪庵により設立された適塾を直接の源流としている〔適塾の沿革 - 適塾から大阪大学へ - 大阪大学〕。適塾は1868年(明治元年)に閉鎖されるが、翌1869年(明治2年)設立の浪華仮病院および仮医学校に教師・塾生が移籍し、これが改組・改称を経て現在の大阪大学医学部となっている。当時、長崎へ遊学した慶應義塾創立者である福澤諭吉が蘭学では適塾が最先端を行っているということを教えられ、この塾へ入門し1857年(安政4年)には第10代塾頭となっている。なお、大阪大学は、懐徳堂(1724年 享保9年 設立)とも関係がある。懐徳堂は1869年に閉鎖されるが、1910年(明治43年)に懐徳堂記念会の設立(後に財団法人化)、最後の預人中井桐園の嫡子中井天生(中井木菟麻呂)らの尽力で、1916年(大正5年)の重建懐徳堂の設立により再興を果たした。戦後の1949年(昭和24年)になり、懐徳堂記念会が懐徳堂蔵書を大阪大学に寄贈したことで両者の繋がりができた。現在、財団法人懐徳堂記念会事務局は大阪大学文学部内にあり、大阪大学が初期の懐徳堂に関するものも含めて管理している。しかし、懐徳堂と重建懐徳堂との間には半世紀近い空白があり、教育機関としての歴史的連続性がないため、大阪大学は懐徳堂を同大の学問的系譜〔懐徳堂 大阪大学〕とは言うものの、同大の前身とは言及していない。大阪医学校を母体に1915年(大正4年)に府立大阪医科大学へ改称、1931年(昭和6年)に国へ移管されると同時に、台北帝国大学に続く第8番目の帝国大学となる。 1933年(昭和8年)には旧制大阪工業大学を合併、戦後の新制大学への改組を経て、2004年に国立大学法人化、2007年10月に大阪外国語大学と統合した。国立大学法人として外国語学部を設置しているのは、大阪大学と東京外国語大学の2大学しかない〔平成20年度全国大学一覧(文教協会)〕。また統合後の1学年あたり学生定員は、国立大学で最多の3245人となった(2位は東京大学で3053人)〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大阪大学」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Osaka University 」があります。
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