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呂不韋 : ウィキペディア日本語版
呂不韋[りょ ふい]
呂 不韋(りょ ふい、、? - 紀元前235年)は、中国戦国時代政治家荘襄王を王位につける事に尽力し、秦で権勢を振るった。荘襄王により、文信侯(ぶんしんこう)に封じられた。始皇帝の本当の父親との説もある。
== 生涯 ==

=== 奇貨居くべし ===
呂不韋は濮陽の人で、商人の子として生まれ、若い頃より各国を渡り歩き商売で富を築いた。
の人質となっていて、みすぼらしい身なりをした秦の公子・異人(後に子楚と改称する。秦の荘襄王のこと)をたまたま目にして、「」(これ奇貨なり。居くべし。「これは珍しい品物だ。これを買って置くべきだ。」)と言った。こうして陽翟に帰った呂不韋はこのことを自分の父と相談した。度重なる話し合いの結果、呂父子は将来のために異人に投資することで結論がまとまったという。やがて呂不韋は再び趙に赴き、公子の異人と初めて会見した。
当の異人は、当時の秦王であった昭襄王の太子・安国君(後の孝文王)の子とはいえ、20人以上の兄弟が居ただけでなく、生母の夏氏が既に父からの寵愛を失っていたため王位を継げる可能性は極めて低く、母国にとっては死んでも惜しくない人質であった。しかも趙との関係を日増しに悪化させていた秦の仕打ちによって、趙での異人は監視され、その待遇は悪く、日々の生活費にも事欠くほどであった。だが呂不韋はこの異人を秦王にし、その功績を以て権力を握り、巨利を得る事を狙ったのである。無論、呂不韋には勝算があった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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