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呂 正操(りょ せいそう、1904年1月4日 - 2009年10月13日)は、中華人民共和国の軍人、政治家。字は必之。中華人民共和国鉄道部部長、全国政治協商会議副主席などを歴任した。 == 経歴 == 1922年、張学良の東北軍に衛兵として参加したのち、東北陸軍講武堂に入堂し教育を受け、卒業後、張学良に呼ばれて身辺にて少佐副官として仕える。1937年10月、冀中(河北省中部)で部下を率いて国民革命軍の53軍(呂は、中佐として53軍691連隊長)を離れて、八路軍第3縦隊司令員兼冀中軍区司令員となる。それ以後、下記の役職を歴任する。 * 1943年9月、晋綏軍区司令員。 * 1945年10月、東北人民自治軍(後に東北民主連軍)第一副司令。 * 1946年7月、東北鉄道総局総局長兼政治委員。 * 1949年4月、軍事委員会鉄道部副部長。 * 1955年、軍人階級の称号を授与され上将となる。 中華人民共和国建国後は鉄道部副部長、同部長代理、同部長、鉄道兵司令員、政治委員を歴任した。 第1、2、3期国防委員会委員、第4期全国人民代表大会常務委員会委員、中国人民政治協商会議全国委員会第2、3期常務委員、第6期全国政治協商会議副主席、中国共産党第7期中央委員候補、第8、11期中央委員。中国共産党第12次全国代表大会において中央顧問委員会委員に選出された。 1991年には張学良とアメリカで再会した。張は建国前より活躍し生存していた上将のうちの1人(最高齢は蕭克)で、当時は100歳を超えていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「呂正操」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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