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呉伯焔 呉 伯焔(ご はくえん、1959年 - )は広島県呉市出身の自称中国武術家。私学校龍珉楼館長。日本功夫協会理事。本名は平岡博。崇徳高等学校卒業。 == 経歴 == 1959年広島県呉市で生まれる。幼少の頃に実父が暴力団抗争(いわゆる広島抗争)に巻き込まれ死亡し、それ以来異常なまでの自己防衛心を抱くにようになる。4歳の頃より中国武術や日本の古武道にのめり込む。その後、蒋介石の元ボディガードで当時広島在住だった陳景山(八卦掌や蟷螂拳に通じる)と金斉臣(詠春拳)に師事。以後、頭角をあらわし15歳の時には初めて弟子をとる。16歳で独立し、アジア各国に良師を求め、各流派を習得していく。著書に記載されているものだけでも「尚氏形意拳」・「孫子八卦掌」・「陳氏太極拳(趙保架より学ぶ)」・「鷹爪翻子拳」・「蟷螂拳」・「李元智系秘宗拳」・「八極拳」・「劈卦拳」・「詠春拳」・「福州狗拳」・「行者拳」・「弾腿」などを会得している〔福昌堂公式サイト-『武術』BN 〕。 呉の武術の特徴は、擒拿鮎穴法はもとより兵器一般に精通し、とりわけ発勁打撃力の強大さにより「砲鍠手呉」と称賛されている。18歳で弟子の育成組織として私学校龍民楼を組織し、後に日本功夫協会を創る。26歳の時よりベースボールマガジン社の雑誌『空手と武術』に不定期で連載を始める。形意拳の紹介記事のなかで、松田隆智を批判。呉の初著書『真法八極拳』に対して、当時松田の御用雑誌と化していた『武術』誌が編集後記で批判したことから罵倒合戦がエスカレートしていく。特に当時の『武術』誌編集長の執拗な中傷記事と最後には3ページに及ぶ個人情報暴露記事によって完全に「インチキ武術家」の烙印を押されることになった。以後は目立った活動もなく、消息は不明〔私学校龍珉楼公式ホームページ 〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「呉伯焔」の詳細全文を読む
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