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呉忠信[ご ちゅうしん]
呉 忠信(ご ちゅうしん)は、中華民国の軍人・政治家。中国同盟会以来の革命派人士。初期は軍人として活躍したが、国民政府成立後は各省政府主席を歴任している。字は礼卿、守堅。号は恕庵。 == 事跡 ==
=== 革命派としての活動 === 1900年(光緒26年)、南京の江南将弁学堂に入学する。1905年(光緒31年)に卒業後は、新軍第9鎮で任官した。その翌年に中国同盟会に秘密裏に加入している。1908年(光緒34年)、二等参謀官に昇進した。1911年(宣統3年)の辛亥革命においては、第9鎮統制徐紹楨に従って革命派として蜂起し、南京で張勲率いる清軍と交戦した。 翌1912年(民国元年)、南京に中華民国臨時政府が成立すると、呉忠信は警察総監に任命された。袁世凱が臨時大総統となると、寧鎮澄淞四路要塞司令に任命される。その一方で上海を拠点とする同盟会機関報『民立報』の経理兼社長代理となり、于右任の補佐を務めた。 1913年(民国2年)の二次革命(第二革命)にも、呉忠信は革命派として参加したが、敗北して日本へ亡命した。翌1914年(民国3年)に孫文(孫中山)が中華革命党を創設すると、呉もこれに参加している。1915年(民国4年)、孫文の命により上海へ戻り、陳其美を補佐して反袁の蜂起を行った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「呉忠信」の詳細全文を読む
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