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呉 日慶(ご じつけい、生年不詳 - 太平10年(979年))は、ベトナム十二使君の一人。呉覧公()とも称された。 == 生涯 == 呉朝の王族の出身で、唐林(現在のハタイ省ソンタイ)を拠点とした。丁部領の攻撃を受けて屈服し、呉日慶の母が丁部領の妻となり、丁部領の娘が呉日慶の妻となった。しかし不満を抱いていた呉日慶は妻子を捨ててチャンパに走った。 太平10年(979年)に丁部領が暗殺されて黎桓が実権を掌握したことを聞いた呉日慶は、チャンパ王(パラメスヴァラヴァルマン1世に比定される)に反攻のための出兵を要請した。しかしチャンパの船団は途中で嵐に会い、呉日慶も沈没した多くの軍船と運命を共にした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「呉日慶」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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