翻訳と辞書 |
告森良[こつもり りょう]
告森 良(こつもり りょう〔 / つげもり りょう〔『新編日本の歴代知事』336頁。〕、1853年12月21日(嘉永6年11月21日)〔『人事興信録』第3版、つ43頁。〕 - 1919年(大正8年)11月27日〔『大正過去帳 物故人名辞典』192頁。〕)は、明治から大正期の内務官僚。官選県知事。 ==経歴== 伊予国宇和島城下御殿町(現愛媛県宇和島市)出身。宇和島藩士・告森桑圃の長男として生まれる〔『愛媛県百科大事典 上』520頁。〕。1873年、神山県に出仕。以後、兵庫県、広島県、長崎県、愛媛県、京都府で勤務〔。 1887年5月、愛媛県東宇和郡長に就任〔。以後、兼西宇和郡長〔『官報』第1645号、明治21年12月21日。〕、京都府参事官、岐阜県参事官、埼玉県書記官、岡山県書記官、徳島県書記官などを歴任〔。 1908年3月、鳥取県知事に就任。倉吉中学校・県立商業学校の新設、農事試験場拡張、耕地整理事業、因伯牛の改良などを推進〔『新編日本の歴代知事』760頁。〕。1910年6月、千葉県知事に転任。同年8月、利根川の大洪水が発生し、内務省に対して国営による利根川水系改修工事を働きかけ、その実現に尽力した。また、県産米の品質向上のため、県営米穀検査の実施を推進〔。1913年6月1日、依願免本官となり退官した〔『官報』第251号、大正2年6月2日。〕。 その後、伊達家顧問を務めた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「告森良」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|