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周世傑 : ウィキペディア日本語版
周西成[しゅう せいせい]

周 西成(しゅう せいせい)は、清末民初の軍人。名は世傑だが、一般に西成で知られる。号は継斌。黔軍(貴州軍)の指揮官で、国民革命軍国民政府)に属した。黔軍の中では、桐梓系と呼ばれる派閥の指導者であった。祖籍は江西省
== 事跡 ==
最初は桐梓明徳小学堂で学び、1911年宣統3年)から貴州新軍に加入した。辛亥革命後もそのまま新軍で経歴を重ね、1913年民国元年)から貴州講武学堂に入学する。同時に国民党にも加入した。
以後も順調に四川省との省境で主に軍歴を積み、1922年(民国11年)1月、旅長に昇進した。同年6月、南方政府派の川軍(四川軍)指揮官である石青陽を頼り、四川討賊軍第3混成旅旅長に任命された。まもなく川東防軍第2師師長に昇格した。11月には、川軍の熊克武から四川討賊軍第3師師長に任じられている。1923年(民国12年)11月、四川を離れ、貴州省北部の赤水一帯に駐屯して独自の勢力圏を形成した。後に、黔軍の袁祖銘から黔軍第3師師長に任じられている。
1925年(民国14年)2月、四川で活動を続ける袁祖銘の代わりに、王天培が貴州軍務督弁、彭漢章が貴州省長、周西成が貴州軍務幇弁に任命された。このうち、彭が省政をとることになったが、王は本拠地の天柱県を中心とする省東南部に、周は赤水県を中心とする省北部に、それぞれ割拠する。1926年(民国15年)、王、彭が国民革命軍として北伐に参戦することになったため、周が貴州督弁兼貴州省長として貴州省の統治権を掌握し、また、黔軍後備軍総司令となった。
1927年(民国16年)4月、周西成は正式に国民政府に転じて、貴州省政務委員会主席に任じられた。また、国民革命軍第25軍軍長となった。同年7月より貴州省政府主席となる。8月、周は唐継尭死後の雲南省の混乱への介入を図る。滇軍(雲南軍)の胡若愚を支援して、竜雲(後の雲南省政府主席)討伐を目論み出征した。しかし、竜雲軍の迎撃の前に敗北、失敗に終わる。同年12月、周は国民革命軍第9路軍総指揮に任じられた。
この後、周西成は、国民政府において反蒋介石派である新広西派に依る傾向を強めた。そのため、蒋介石は、親蒋派である竜雲を支援し、貴州へ逆進攻させた。1929年(民国18年)、黔軍ながら竜雲の支援を受ける国民革命軍第43軍軍長李燊と滇軍の連合軍に敗れ、周は、5月22日に関嶺近辺で戦死した。享年37(満36歳)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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