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周亜夫[しゅう あふ] 周 亜夫(しゅう あふ、? - 紀元前143年)は、前漢前期の武将、政治家。呉楚七国の乱において反乱軍を破る功績を上げた。 ==略歴==
===生い立ち=== 漢建国の功臣・周勃の次男。父の死後、文帝の娘を娶っていた長兄の周勝之が後を継ぐが、人を殺した罪により爵位を剥奪されたので、周亜夫が代わって家督を継ぎ、条侯に封じられた。 若い頃から父と同様に軍事で活躍し、匈奴が漢の領土内に侵攻してきた際には、文帝から一軍を率いてその防衛の一翼を担うように命じられる。それから間もなく情勢が安定すると、文帝は国の守りに力を尽くしてくれた将兵を慰問したいと各陣営を訪問・閲兵した。どの陣営も和気藹々とした雰囲気で文帝を迎えたが、周亜夫の陣営のみが「ここは戦陣なので、皇帝陛下にもそれなりの作法で閲兵していただきたい」と言って、文帝にも陣中の作法を守らせ、陣営内でも下馬した上で通行させるほどであった。 後でこのことを知った文帝の側近たちは「なんと無礼なやつだ」と周亜夫を非難したが、文帝は「あの男こそが、真の将軍たる人物だ」と彼を褒め称えた。そして死に際しては皇太子(後の景帝)に向かって「もし大がかりな戦争が起こったならば、周亜夫を軍の総帥にして事態を解決せよ」と遺言したと言われる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「周亜夫」の詳細全文を読む
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