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周毖 : ウィキペディア日本語版
周ヒ[しゅう ひ]

周 毖(しゅう ひ、? - 190年)は、中国後漢末期の人。字は仲遠周慎の子。周珌とも書く。『後漢書』「献帝紀」・「董卓伝」・「袁紹伝」、『三国志』「袁紹伝」・「許靖伝」などに記録がある。
彼の出身については、「許靖伝」では漢陽郡とあるが、「董卓伝」に関する書には武威郡とある。どちらが正しいかは、不明である。
後漢の実権を握った董卓に、当初は信任されていた。189年、袁紹が官を棄てて出奔したときは侍中の地位にあり、城門校尉の伍瓊や何顒と共に董卓を宥め、袁紹を勃海太守に任命させた。実は周毖と伍瓊はひそかに袁紹と内通していたという。
董卓から吏部尚書に任命され、伍瓊・何顒・鄭泰・許靖と共に人事政策を担当し、荀爽韓馥劉岱孔伷・張咨・張邈といった人物を、次々と官位につけさせた。
190年、袁紹や張邈達が関東で挙兵し、董卓打倒の態度を鮮明にすると、董卓は長安への遷都を考えるようになった。周毖は督軍校尉となっていたが、伍瓊・黄琬楊彪と共に長安遷都に反対した。董卓は周毖と伍瓊がかつて推挙した人材の多くが、反旗を翻していることを責めたて、二人を斬首した。
小説『三国志演義』にも登場し、ほぼ同様の最期を迎えている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「周ヒ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Zhou Bi 」があります。



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