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周礼 : ウィキペディア日本語版
周礼[しゅらい]

周礼(しゅらい)は、儒家が重視する経書で、十三経の一つ、『儀礼』『礼記』と共に三礼の一つである。
周公旦が書き残したものとされるが、実際には戦国時代以降に周王朝の理想的な制度について記したものと見られ、実際の金文資料や他の先秦の文献に見られる制度とは食い違いを見せている。
十三経注疏』には、後漢鄭玄注、賈公彦疏が付けられた『周礼注疏』が収められている。
== 歴史 ==
『周礼』の書名は本来『周官』であり、六経のひとつである礼とは関係なかったと考えられる。前漢武帝のときに河間献王が入手した〔『漢書』景十三王伝「献王所得書、皆古文先秦旧書。周官・尚書・礼・礼記・孟子・老子之属、皆経伝説記、七十子之徒所論。」〕。
王莽のとき始めて経典に加えられ、劉歆が『周礼』に書名を改めたという〔荀悦『漢紀』成帝紀「歆以『周官』十六篇為『周礼』。王莽時、歆奏、以為礼経、置博士。」〕〔『経典釈文』序録「王莽時、劉歆為国師、始建立周官経、以為周礼。」〕。しかし、冬官篇が欠けていたので、そのかわりに『考工記』を収録した〔賈公彦『周礼注疏』序周礼廃興「是以馬融伝云(中略)然亡其冬官一篇、以『考工記』足之。」〕。あるいは河間献王のときにすでに『考工記』で補ってあったともいう〔『隋書』経籍志一「而漢時有李氏得『周官』。『周官』蓋周公所制官政之法。上於河間献王、独闕冬官一篇。献王購以千金不得、遂取『考工記』、以補其処、合成六篇、奏之。」〕。
後漢にはいると杜子春が『周礼』を伝えたといい〔賈公彦『周礼注疏』序周礼廃興「是以馬融伝云(中略)奈遭天下倉卒、兵革並起、疾疫喪荒、弟子死喪。徒有里人河南緱氏杜子春、尚在永平之初、年且九十、家于南山、能通其読、頗識其説。鄭衆・賈逵往受業焉。」〕、賈徽や鄭興も『周礼』に通じていた。賈徽の子の賈逵〔『後漢書』鄭范陳賈張伝・賈逵「(章帝)復令撰斉・魯・韓詩与毛氏異同、并作『周官』解故。」〕、鄭興の子の鄭衆馬融らが注釈を書いた〔『後漢書』儒林列伝下「中興、鄭衆伝周官経。後馬融作周官伝、授鄭玄。玄作周官注。」〕。『周礼』は古文学派にとって重要な経典であり、賈逵の門人だった許慎も『周礼』を修めている。鄭玄は杜子春・鄭興・鄭衆らの説を総合し、さらに『周礼』の説を基本に『儀礼』『礼記』にも注釈を施した。王粛東晋干宝にも注があったというが〔『経典釈文』序録〕、現在は鄭玄の注以外は滅びている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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