翻訳と辞書
Words near each other
・ 周磨仮乗降場
・ 周磨駅
・ 周礼
・ 周礼駅 (釜山交通公社)
・ 周祖謨
・ 周福成
・ 周禮
・ 周秀成
・ 周秀英
・ 周立春
周竜光
・ 周章
・ 周章狼狽
・ 周筆暢
・ 周糸
・ 周細胞
・ 周維郷
・ 周縁
・ 周縁キメラ
・ 周縁分裂組織


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

周竜光 : ウィキペディア日本語版
周竜光[しゅう りゅうこう]

周 竜光(しゅう りゅうこう、、1885年光緒11年) - ?)は、中華民国の政治家。二為
== 事績 ==
日本に留学し、東京帝国大学を卒業した。帰国後は北京大学教授、督弁魯案事宜公署秘書を歴任している。1925年民国14年)からは、北京政府で司法部参事や特別関税会議専門委員を務めた。1928年(民国17年)、中国大学副校長となっている。〔徐主編(2007)、940頁。〕〔劉国銘主編(2005)、1600頁。〕
しかし同年6月、周竜光は国民政府に転じて外交部第二司司長に抜擢され、翌1929年(民国18年)1月には外交部亜洲司司長となった。その後、北平市政府参事に移り、1931年(民国20年)12月10日に天津市長代理に就任した(病気を理由に辞任した張学銘の後任)。〔『朝日新聞』(東京)、昭和6年(1931年)12月10日夕刊、1面。〕1935年(民国24年)12月に冀察政務委員会が成立すると、参議兼外交委員会委員に任命された。日中戦争(抗日戦争)勃発後の1938年(民国27年)12月、中華民国臨時政府で設立された日華経済協議会の秘書長に就任した。〔『東京朝日新聞』(東京)、昭和13年(1938年)4月17日、2面。〕1939年(民国28年)1月31日までは臨時政府の一員として活動が確認できるが、〔『東京朝日新聞』(東京)、昭和14年(1939年)2月4日、11面。〕これ以降の行方は不詳である。〔〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「周竜光」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.