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周道剛 : ウィキペディア日本語版
周道剛[しゅう どうごう]

周 道剛(しゅう どうごう)は、中華民国の軍人。川軍(四川軍)の有力指揮官。蓁池
== 事跡 ==
四川武備学堂を卒業後、日本へ留学する。陸軍士官学校第3期歩兵科で学んだ。卒業後に帰国し、四川陸軍学堂監督、四川新軍管帯、第33協第65標標統などを歴任する。
1912年民国元年)、四川都督署陸軍部長をつとめる。まもなく北京総統府諮議官に異動した。また、進歩党にも入党している。
1916年(民国5年)、護国戦争に際して蔡鍔らの護国軍に呼応し、袁世凱討伐に参加した。蔡から四川軍第1師師長に任命されている。四川軍の劉存厚雲南軍の羅佩金貴州軍の戴戡による四川省での三つ巴の混戦を経て、1917年(民国6年)7月までに羅佩金は四川省を撤退し、戴戡も戦死する。これを受けて周道剛が北京政府から代理四川督軍に任命された。
周道剛は、勢力確保のために、長江上遊司令兼四川査弁使呉光新の援軍を受けた。しかし、顧品珍らの雲南軍の攻撃を受けて周は敗北し、同年12月には下野に追い込まれた。
日中戦争(抗日戦争)期から1948年(民国37年)3月まで国民参政会参政員を務めた〔『四川省志 人物志』下冊によると、1945年(民国34年)に引退としている。〕。
1953年、死去。享年79。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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