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周魴 : ウィキペディア日本語版
周魴[しゅう ほう]
周 魴(しゅう ほう、生没年不詳)は、三国時代武将政治家に仕えた。子魚。呉郡陽羨(現在の江蘇省宜興市)の人。
周賓の子で、京劇の演目の一つ「除三害」の主人公として有名な周処らの父。周玘・周札の祖父、周勰(周玘の子)の曾祖父。
== 生涯 ==
若い頃から学問を好み、孝廉に推挙された。寧国県長を務め、懐安の地を治めた。銭唐の地域一帯に勢力を張る賊に彭式という者がいた。彭式は人数を多数集め乱暴を働いたが、周魴は銭唐の相に任じられると間もなくこれを鎮圧し、彭式らの首級を取った。この功績で丹陽西部都尉となった。
黄武年間、鄱陽の盗賊の大頭目の彭綺という者が反乱を起こすと、周魴は鄱陽太守に任じられ、胡綜と協力しその討伐にあたった。周魴は彭綺の身柄を拘束し、武昌に送った。この功績で、昭義校尉を加官された。
揚州曹休は、山越を扇動し呉への侵攻を図っていた。孫権は曹休を油断させるための内通者を募ったが、周魴は自らその役を買って出た。周魴は曹休に対して孫権への不満を綴った書状を7通も送り、内通することを曹休に約束した。曹休は当初これを信じなかったが、周魴の元に中央から詰問の使者が送られてきたたことを知り、信じてしまった。
228年、周魴の謀略を信じ込んだ曹休は10万の軍を率いて呉領深く侵攻した。皖城において待ち伏せていた陸遜の呉軍に遭遇した曹休は、計略にかかったことに始めて気づいたが、自らの率いる大軍にまかせてそのまま決戦に及んだ。陸遜は曹休を左右から攻撃し破ったが、周魴も軍勢を率いて曹休の軍勢を分断し、勝利に貢献した。この功績により、孫権から裨将軍・関内侯の地位を与えられた(石亭の戦い)。
その後も周魴は、唐咨吾粲が3千の兵を率いても降せなかった董嗣を計略で殺害し、その弟を降伏させるなど、反乱討伐に功績を挙げた。
周魴は太守の地位にあること13年で死去した。信賞必罰の方針を貫いて、郡に恩愛と威厳が行き渡っていたといわれる。
小説『三国志演義』では、周魴が剃髪して呉に攻め込んでくれるように嘆願してきたため、曹休もその偽の投降を信用したというような脚色がなされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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