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和智誠春 : ウィキペディア日本語版
和智誠春[わち まさはる]

和智 誠春(わち まさはる)は、戦国時代武将備後国・国人和智氏の当主。
和智氏は藤原秀郷の流れを組む家系で波多野氏などと同族。室町期の当主(時実豊実豊広豊郷)は代々、備後守護山名氏に臣従し、また守護からは偏諱を受けており、誠春も山名誠豊から1字を受けたものと推測される。戦国期は他の備後の国人と共に、出雲国尼子経久、次いで安芸国毛利元就が力をつけると、それに従属した。享禄2年(1529年)、父・豊郷は毛利元就が石見国・国人高橋氏を討伐した際、松尾城高橋重光高橋弘厚か)を共に討つなどこれに協力した。
誠春も父同様に毛利氏に従い、天文24年(1555年)の厳島の戦いにおいても毛利方として参戦した。しかし、永禄6年(1563年)に元就の嫡男・毛利隆元を饗応した直後に隆元が急死すると、元就の不信と憎悪を買う結果になったのか、6年後の永禄11年(1568年)に吉川元春小早川隆景に従い伊予国へ遠征した帰路に弟・湯谷元家厳島神社に監禁された。その後、脱走を図り神社本殿に立て篭もったが、結局弟と共に殺害されたという。没年は永禄12年(1569年)とする説もある。
誠春の子・元郷は元就に謝罪し和智家の存続を許されるが、弟・元家の子(誠春の甥)の湯谷実義は元就に抵抗し滅ぼされた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「和智誠春」の詳細全文を読む



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