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和暦(われき)は、元号とそれに続く年数によって年を表現する、日本独自の紀年法である。邦暦(ほうれき)とも。また「和暦」は、西暦に対する表現としても使用されることが多い。 この手法自体は東アジアで広く行われてきたが、日本独自の元号を用いているため日本固有の紀年法となる。飛鳥時代の孝徳天皇によって西暦645年に制定された「大化」がその始まりであり、以来15世紀に亘って使われ続けてきている。 たとえば、西暦2000年は平成12年に当たる。明治改暦(明治6年/西暦1873年)以降、グレゴリオ暦を採用しており西暦とも月日が一致している。 == 概要 == 最初の元号「大化」が制定された西暦645年(大化の改新)以降に、250の元号が日本で制定されている。ただしこれは、私年号や南北朝時代における両朝の元号双方を全て含めた数である。重複のない元号の数は、南朝で141、北朝で149である。 古代には元号が制定されていない期間もあった。現在まで連続するのは、西暦701年の大宝からである。また、前述したように南北朝時代には2つの元号が並行して存在していた。 明治以降は、一世一元の詔・旧皇室典範・元号法により、天皇の皇位を継承する際にのみ改めることが定められているが(一世一元の制)、明治以前は、不吉なことがあったり、病が流行するなどの理由で度々改元された。そのほとんどは1年から長くて十数年の非常に短い期間しか持続しなかった。逆に、新天皇が即位しても、改元しなかったり、日を置いて改元した場合も少なくなかった。 日本の役所等の官公庁が発行する文書、官公庁に提出する書類(公文書)は、ほぼ全てが和暦を記載しなければならない。ただし、海外で主に使うパスポートや、気象観測機器の製造年は西暦の使用が認められている。新聞などは西暦と和暦が併記されている。 現代では西暦がメジャー化し、役所の書類で和暦を書く際に、すぐ思い浮ばずに不便を感じる者も多くなったようであるが、その一方、それぞれの時代の元号と結びついた社会イメージや歴史背景から、和暦には捨てがたさがあり、「利便性」だけを重視し、日本固有の伝統を捨てて西暦に統一にすることへの反対意見も根強くある〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和暦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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