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和歌山一家8人殺害事件 : ウィキペディア日本語版 | 和歌山一家8人殺害事件[わかやまいっか8にんさつがいじけん] 和歌山一家8人殺害事件(わかやまいっか8にんさつがいじけん)は、第二次世界大戦終結直後に発生した大量殺人事件。犯人は死刑が確定したが恩赦で減刑され、後に出獄した。 == 事件の概要 == 犯人のA(犯行時26歳)は、戦時中志願して通信兵となり、中国戦線や北海道を転戦していたが、その間に和歌山県和歌山市で暮らしていた実母が1940年に死去した。実母はAより15歳年長の兄一家と暮らしていたが、実母が兄嫁から虐待される「姑いじめ」を受けていた。Aはその家庭環境から逃げ出す為に兵役についていたが、その直後に実母は虐待死したと疑っていた。すぐに兄嫁に対し復讐しようとしたが、証拠もないうえに叔父になだめられたため、実行しなかった。 1945年10月に復員し空襲で焼け出され焼跡でバラック住まいをしていた兄一家宅に身を寄せた。だが1946年1月27日の夕食時に義姉がした、実母が心臓麻痺で苦しんだ最期の形相をまねた心ない仕草がAの復讐心に火をつけた。そのため1月29日深夜に手斧にノミを用意して、兄(当時42歳)と兄嫁(当時41歳)の夫婦だけでなく、兄夫婦の子供も「両親がいなくなって不憫」という勝手な行く末を考えて、16歳と13歳と7歳と3歳の男児と、14歳と10歳の女児と6人の子供まで虐殺する行為を犯した。 Aは「これは母の敵討ちだ、1ヶ月後に自首〔「自首」は「捜査機関に発覚する前」に警察に自ら犯罪を告白することであり、判例では、「犯罪事実が全く捜査機関に発覚していない場合」もしくは「犯罪事実は発覚しているが、その犯人が誰であるか全く発覚していない場合」に成立するとされているため、Aのように指名手配された後で出頭しても自首にはならない。そのため、Aは勘違いしている。〕する」などと自己正当化する書置きをして逃亡したが、1ヶ月しても出頭することは無かった。Aは長崎県内の炭鉱に偽名で働いていたが、「良心の呵責」に耐えられなくなったとして、1948年3月19日に大阪市にある朝日新聞社大阪本社に現れたところを逮捕された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和歌山一家8人殺害事件」の詳細全文を読む
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