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和歌山中学漕艇部遭難事故(わかやまちゅうがくそうていぶそうなんじこ)とは、1930年(昭和5年)3月16日に和歌山県名草郡紀三井寺町(現・和歌山市)で発生した遭難(海難)事故である。 == 事故の概要 == 旧制和歌山県立和歌山中学校漕艇部の新人部員8名が、春季試験が終わった翌日の3月16日午前9時頃に、片男波にある和歌山中学校の艇庫より6名乗りボートの「明光号」で学校側へ無届出のまま出艇した〔 2012年5月26日閲覧。〕。 当初はボートの経験豊かな漕艇部のOBも参加予定だったが、用事が入って不参加となり、経験の浅い新人が定員をオーバーして乗り組むこととなった〔。出艇後に遭難し、8名全員が死亡(行方不明含む)した〔。 当日の和歌山沖海は強い西風が吹き、水面には白波が立つような悪天候であった。部員を乗せたボートは片男波を出た後、和歌浦を横切り、普段から練習場に使っている紀ノ川あたりへ向う途中で、強風のため沖に流されて沈没したと推測されている〔。 事故発生の翌3月17日深夜頃に、紀三井寺町の浜ノ宮海水浴場沖で淡緑色のボートが転覆したまま漂着しているのを住民が発見し、すぐに和歌山中の明光号と判明した。同日より付近一帯が大捜索されたが、潮の流れが強く、翌日1遺体のみが収容されただけで全員の遺体は発見できなかった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和歌山中学漕艇部遭難事故」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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