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和歌森太郎[わかもり たろう] 和歌森 太郎(わかもり たろう、1915年(大正4年)6月13日 - 1977年(昭和52年)4月7日)は日本の歴史学者、民俗学者。東京教育大学名誉教授。専門は日本の民衆史・修験道史。 == 人物 == 千葉県出身。東京府立第四中学校、東京文理科大学国史学専攻卒業。戦前は国民精神文化研究所に籍を置き、堀一郎や萩原龍夫らとともに国民の信仰生活に関する調査を実施。その後東京文理科大学および東京教育大学教授。筑波大学構想に反対して同大学を去り、1976年から逝去する1977年まで、都留文科大学学長。東京教育大学名誉教授。 歴史学者の松本彦次郎(古代および中世庶民史)、肥後和男(文化史)などに教えを受け、修験道史研究の第一人者となる。一方では西田直二郎門下である肥後の文化史、および1941年から師事した柳田國男の民俗学の影響を受け、従来の文献資料に民俗資料を取り込んだ歴史民俗学的研究を開拓。教鞭をとった東京教育大学文学部日本史学専攻では桜井徳太郎(民間信仰史)とともに古代史講座に属し、史学方法論専攻と連携しつつ多くの研究者を育てた。現在に至るまで日本の民俗学界をリードするその流れは「東京教育大学派」と称され、村落の歴史や庶民の生活史を実証的に記述することに特徴を持つ。 またリベラルな歴史学者として知られ、戦後の教育改革で新たに設置された教育科目「社会科」の教科書を最初に執筆したことでも知られる。教育大時代には文学部長も務めていたが、同大学の筑波移転には強い反対の立場をとっている。移転反対派の牙城であった文学部においてもその旗手として論陣を張るが、評議会や理学部を中心とした推進派との対立から1966年には学部長を辞任している。 1951年 東京教育大 文学博士 論文の題は「国史に於ける協同体の研究 : 特に神社との関係について」〔博士論文書誌データベース〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和歌森太郎」の詳細全文を読む
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