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和気広世[わけ の ひろよ] 和気 広世(わけ の ひろよ、8世紀 - 没年不詳)は、奈良時代末期から平安時代初期にかけての貴族・学者。民部卿・和気清麻呂の長男。官位は正五位下・左中弁。 == 経歴 == 備前国出身。当初文章生として朝廷に仕える。延暦4年(785年)に事件(藤原種継の暗殺事件と想定される)に連座して禁錮に処せられるが、特別の恩赦により少判事に任ぜられる。その後従五位下・式部少輔に任ぜられ、大学別当を兼ねた。 大学別当在任時に、墾田20町を大学寮に寄付して勧学料とし、これまで明経道試の結果が上位二階級(上上・上中)のみ叙位の対象としていたものを、上位四階級まで(上下・中上まで)叙位する案を提出した。また、大学寮の学者たちを呼び、陰陽書や『新撰薬経』『大素』を講論させた。さらに、大学寮の南にあった和気氏の私邸に内外の経書数千巻を収めて、父・清麻呂の遺志を継いで、和気氏出身の子弟のための学館である『弘文院』として創建した。また、墾田40町を学問料として充当したという。〔『日本後紀』延暦18年2月21日条〕 延暦18年(796年)阿波守、延暦24年(805年)美作と地方官を兼ねる。また、延暦18年(796年)には、私墾田100町を美作・備前両国の8郡30余郷の困窮者に対する財源とすることを上奏し、許されている〔『日本後紀』延暦18年12月28日条〕。延暦25年(806年)式部大輔。 大同元年(806年)平城天皇の即位後まもなく、正五位下・左中弁に叙任された。
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