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和気氏[わけうじ]
和気氏(わけうじ)は、「和気」を氏の名とする氏族。 備前国和気郡(古くは藤野郡と称した)を本拠とした豪族である。垂仁天皇の皇子鐸石別命(ぬてしわけのみこと)を祖とすると伝えられる。「別氏」とも書く。姓(かばね)は公(きみ)から真人(まひと)、宿禰などを経て774年(宝亀5年)に朝臣の姓が与えられた。
== 概要 == 奈良時代の和気広虫(出家して法均尼と号する)と弟の和気清麻呂が僧道鏡に対する宇佐八幡宮神託に関する事件で功があって朝廷に進出し、藤野別真人から和気朝臣の氏姓が与えられた。清麻呂の子広世などは学者として朝廷に仕え、広世は和気氏出身者のための大学別曹の弘文院を設置している〔ただし、久木幸男は弘文院が大学別曹の条件と矛盾する要素を有しており、大学別曹ではなく図書館であったとする説を唱えている。久木『日本古代学校の研究』(1990年、玉川大学出版部)〕。 和気氏の一門からは源氏の棟梁 源頼義に仕えた和気致輔が出るなど、武士となった者も現れた。 和気氏の家系は医家として仕え、戦国時代から江戸時代にかけて代々宮廷医官をつとめた医家半井家(なからいけ)は和気氏の子孫とされる〔難波恒雄「日本における本草の歴史と民族薬物学」『和漢医薬学雑誌』1997年、14巻、p72〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和気氏」の詳細全文を読む
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