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和田 常盛(わだ つねもり、承安2年(1172年) - 建暦3年5月4日(1213年5月25日))は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将。鎌倉幕府の御家人。左兵衛尉。和田義盛の嫡男。子に和田朝盛。 == 生涯 == 承安2年(1172年)、和田義盛の嫡男として誕生。弟に朝比奈義秀がいる。 弓の名手だったと伝わり、鎌倉幕府将軍・源頼家、実朝に仕えた。建仁3年(1203年)の比企能員の変には父・義盛と共に追討軍に参加した。 建暦3年(1213年)の和田合戦において一族と共に戦うが、敗れて甲斐国へ逃れ、横山時兼らと共に自害した。享年42。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和田常盛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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